「中高生の修学旅行は“私服”でもOK!」

11年間の公立中学校の教員からフリーランスに転職した者の記事です。

 

今回のテーマ

「中高生の修学旅行は“私服”でもOK!」

5月19日(木)のド平日に、スカイツリー・東京ソラマチへ行ってきました。

そこには、私の見た限りで、わずか3組の外国人観光客(やはり少ない…)と、小学校入学前の小さな子どもを連れた家族と、若いカップルたち、そして、校外学習で来ていた2校ほどの中学生たちがいました。

 

学生だとわかったのは、“制服”を着ていたからです。

フードコートで5~6人で座って食事をしているのを見て、私が感じたのは“違和感”でした。

 

学校帰りに友達とふらっと寄り道して来ているのではなく、学校行事でソラマチに来ていて何で制服なの?と思ったのです。

 

 

「ディズニーランド日帰り修学旅行」の記憶

令和3年に、中学3年生の「ディズニーランド日帰り修学旅行」を5クラス約170名+教員 全員が“私服”で行った経験が思い出されました。

 

当初予定していた京都奈良方面の修学旅行がコロナで中止となり、主担当の先生の計らいと旅行代理店との交渉の結果、代替案で10月にディズニーランドに行けることになったのです。 

その際、テーマパークをまわるのは“私服”が適しているだろうということになったのです。

当日、異装と言われるような生徒は誰もいませんでした。

※私服だからなんでもOKというわけではなく、ピアス・化粧・ネックレスはしないというルールを5クラス約170人が全員守っていました。

 

校外学習の目的を生徒としっかり共有すれば、格好での問題は起きないということを学びました。

 ちなみに、この時のディズニー修学旅行の目的は、

 「日本一のテーマパークはなぜお客さんを引き付けるのか調べる」でした。

 

しかし、そんな私もかつて「東京班別行動」「修学旅行」をはじめとする校外学習で生徒が制服であることに疑問はありませんでした。

 

考えるきっかけは、市内のある中学校のある学年が、3年生の修学旅行はいつも私服で行っていると聞いたことです。自分がこのことに思考停止であったことに気づいたのです。

 

ちなみに、今の私の意見は、京都・奈良であれ都内であれ、「私服か制服かは、生徒に考えさて個人で決めさせる!」です。つまり、ある生徒は私服で、別の生徒は制服。もあり!いう感じです。

 

 

そもそも制服で行く意味は?

大概、私服反対派からは下記のような理由があがります。

でもどれも本質的な回答ではありません。

 ①学校行事で学びに行くわけだら制服であるべき。

 ②私服はトラブルに巻き込まれる危険がある。

 ③制服は中学生だと一目でわかるから周りの人が助けてくれる。

 

①の反論

→小学生は私服で修学旅行で鎌倉に行っていますし、文化や歴史に触れに来た観光客にスーツの者はいません。

 

②の反論

→ディズニーリゾートに私服で行くとトラブルに合うなら年間3,000万人ものゲストは来ません。

 

③の反論

→必要があれば自分から助けを求めればいいだけの話です。生徒手帳も持っていますし、何より知らない場所での適度なプレッシャーで育つ自立が校外学習の目玉です。

 

 

学ばせたいのはTPOを自分で考える過程制服がもつ本当の価値

墨田区から帰って来て、寝る前に読んだ本に今日の服装のこととリンクする内容がありました。

『(平川教育長)オランダでもアメリカでも、海外出張に行くときは、まさかスーツで来ないようにと指示を飛ばしている。(中略)ジーパンで、と言ったら驚いていましたけどね。』

 

これは、広島県の教育長が公立高校の教員とアメリカの学校視察に行った際のエピソードで紹介されていました。

 

私服の生徒がいる学校に、真っ黒のスーツ集団が行ったら子どもたちが驚いてしまうから。という説明した部分です。

 

このように、自分たちが行く場所の状況や、自分たちがそもそも何をしに行くのかといった目的をふまえて、「この格好で行こう!」と考える過程が大事だと思っています。

生徒が、「先生がOKしたから!」あるいは、「みんながそうしているから…」といった自分の意見や考えを“もたない”ことが問題ではないでしょうか。

 

仮に、私服で現地の人にインタビューをするとして、それが制服よりもデメリットが多かったとしたら、制服を着る意味やシャツなどのフォーマルな服が相手に与える印象の大きさなど、「服の価値」について学べるこれ以上ない機会だと思います。

 

「第一印象は大事だ」と一方的に押し付けるよりもよっぽど生徒の心に届く学びになると思います。もちろん制服よりも私服の方が、うまくインタビューできたという逆もしかりです。

 

教員、PTAをはじめとする大人も、「例年そうだから…」ではなく変化する時代に応じて考え方をアップデートし続けることが必要だと考えます。

 

今回のテーマで言えば、「今年の中3の代で私服OKの前例を作られたら、うちの学年に影響が出るから反対!」なんて言うのはもうもってのほかで、どれだけ生徒の考えさせる力をそぎ落として、ガチガチの管理一辺倒の教育をしてるんですかと思ってしまいます。

 

周りに流されないで、「自分はこう考える!」と言語化する練習を、行事だけでなく普段から行うことが、日本や世界を動かす次の世代を育てる私たち大人の大きな役割のひとつではないでしょうか?

 

 

もし、共感していただけたら職場の朝礼でも学校の朝の会の合間でもいいと思います。アウトプットのネタに使ってください。

次回もお楽しみに!

料理やジュースとして使われるさわやかな香りのカボスにあやかり旬な話題をお届けします。

 

人口減少 ~12年後の中学校をイメージ~

料理やジュースとして使われる、さわやかな香りのカボスにあやかり、旬な話題をお届けします。

 

今日の“カボスなテーマ”「人口減少」

5月5日の子どもの日に合わせて、総務省が15歳未満の子どもの数(4月1日現在)に関する推計を公表しました。

 

【参照資料】

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/topics/topi1311.html#aI-1

「こどもの数は1465万人、41年連続の減少」 総務省統計局

 

一部を紹介すると、

①12~14歳の人口…323万人

②  0~  2歳の人口…251万人

 

【カボスな考察】

①の3学年分の人口よりも、②の3学年分の人口が少なく、現在の中学生の人数を323万

人とすると、12年後の中学生は251万人となります。これは現状の77.71です。

 

 

 教員時代に授業中によくやっていたのですが、○○倍とか、●●分の1とかという数字の表現は、具体例を示すとイメージがしやすいですよね。

 

77.71%のイメージ💡

 40人学級の77.71%→31人(31.08)

 35人学級の77.71%→27人(27.20)

 30人学級の77.71%→23人(23.31)

 

 全校生徒500人の学校の77.71%→389人(388.55)

 全校生徒300人の学校の77.71%→233人(233.13)

 

結構ヒヤッとしませんか?12年後の話です。私は現在33歳なので45歳になっています。新卒23歳の人は、35歳のときの話です。

 

生徒の総人数が減っても、学級数が減らされるので、教室の中だけを見ていれば変化は感じにくいかもしれません。また、教員の数は採用を減らして調節はできるでしょう。

 

しかし、国全体で見ると、個人の収入や、仕事の仕方などへの変化は確実に出てきます。

 

 

 

ピンチはチャンスになるか?

 人口が減り続けることが、良いことなのか悪いことなのかは“何に注目するかで”意見が割れます。

 でも、確実に言えることもあって、人口が減り続ける国では、「昭和・平成時代の正攻法(せいこうほう)は通用しない。」ということです。

※平成20年(12808万人)をピークに、23年(12783万人)以降は一貫して減少しています。

 

【参照資料】

https://www.stat.go.jp/data/topics/topi1191.html

「人口減少社会、少子高齢化」 総務省統計局

 

 ピンチはチャンスと言いますが、チャンスにさせるには現場レベルでのアクションがあることが条件だと思っています。行動なきピンチはただのピンチのままですよね。

 

 社会で活躍する生徒たちに、本当に身につけさせたい力は何か?を大人も真剣に考えたとき、できることは個人にもあると思っています。

 

 親ひとりの学びや行動でも、学校職員ひとりの提案や授業改善でも結構ポジティブな変化をもたらせると思っています。文部科学省のかじ取りを待っているだけはやめましょう。もう本格的なデッドラインに差しかかっていると思います。みなさんはどうお考えになりますか?

 

 

 

もし、共感していただけたら職場の朝礼でも学校の朝の会の合間でもいいと思います。アウトプットのネタに使ってください。

次回もお楽しみに!(^ ^)

クオリティー オブ ライフ(Quality of Life) 歯医者とガマンのはなし

イメージ 歯医者さん


歯医者さんに最後に行ったのいつですか? → ガマンの本質に迫る。

 

毎日の「気づき・発見」からを人生のタメになる話を発信しています。

さて、タイトルの「クオリティー オブ ライフ(Quality of Life)」ですが、

この言葉を知ったのは、堀江貴文さんのvoicyだったかと思います。意味は…『生活や人生の質』です。

 

今日は、健康は大切という話だけではなく、そこからYoutube芸人 江頭2:50さんを経由して、ガマンの本質に迫ります!

 

今日、3カ月ぶりに定期健診で歯医者に行きました。

写真(レントゲンではなく、歯と歯ぐきをデジカメで撮影するもの)を撮り、歯ぐきの状態の確認や、歯石の除去を定期的にしています。

写真は患者の私も見せてもらえて、そこから自分の歯ぐきの下がり具合を知ることができます。

私は現在30代です。気持ちはいつも若いままですが、物理的な老いからは目を背けてはいけないと思いました。

 

実際に、歯ぐきが下がって歯の根元が見え始めている写真を前にするとそう思わざるを得なかったです。

 

 

虫歯になれば、遅かれ早かれ歯医者さんにお世話になります。

しかし、歯ぐきが下がっただけでは歯医者さんにかからない人もいるでしょう。

歯ぐきがしみるといった痛みをともなわなければ気が付かないからです。

それでいいのかと言うと、長期的な視点で考えて”NG”です。

 

食べるという行為に支障が出てからの治療は大変です。

もう数年、歯医者さんに行っていないという人は、虫歯でなくても歯医者さんに一度かかることをオススメします。

 

 

二つ目のテーマ 「ガマンは大事か?」

歯石の除去であおむけになって歯のクリーニングをされているときの「気づき」です。

 

歯石除去は、細い金属の針の超音波による振動で行われます。

私が子どものころは、歯医者さんが手動でガリガリひっかいて歯石を削ってくれたのですが、現在は最後の仕上げでちょっとやる程度です。

超音波の方が時短で、かつきれいに除去ができるようですが、大きなデメリットがあります。

「キュイーン」とう高音です。黒板を爪でひっかいたときのあの感覚に近い不快感が押し寄せてきます。

歯の上下と、歯の表側と裏側を順番にやっていくのですが毎回、「もう結構です」と中断してもらいたくなります。

でも、今回は過去一番早く歯石除去が終わりました。理由は自分でもわかりました。

そもそもの付着していた歯石の量が少なかったのです。

定期的に歯医者に通い、『超音波はいやだなー』という思いが、毎日の歯磨きを丁寧かつ上手にしたのです。

 

これが「ガマンは大事か?」につながります。

つまり、虫歯ではないのに、超音波は嫌なのに、「ガマンをして」定期的に歯医者に通ったことで、私のQOL(クオリティー オブ ライフ)が結果として向上したのです。

 

最近、メタバース(仮想空間)が話題にはなっていますが、仮にデジタルの中に自分のの世界を持ったとしても、現実世界でご飯を食べるという行為が完全になくなることはないでしょう。人生100年時代に、私は残りの60~70年を健康的に生きるためのコツを一つ身につけることができました。

 

ガマンは、根性論と相性がよく、昭和の時代には美徳とされてきました。

良くも悪くも、現代でも多くの学校で、「ガマンすることの大切さ」を子どもたちは学んでいます。

歯医者の例は、やってよかった「必要なガマン」です。良くも悪くもと言ったからには当然「不必要なガマン」もあって、これらはきちんと分類する必要があります。

 

必要なガマン

最近、Youtubeで江頭2:50さんのチャンネルの動画をみたのですが、まあ本当にストイックなんです。江頭さんは!

ふざけたこと(ふざけているように見えること)を本当に本気でやっているのが面白くてカッコいい。現在300万人以上のチャンネル登録を得ています。

江頭さんは50代になった現在も、昔と変わらぬ体型維持をしています。

最近太ったと言いながらも、体を張る仕事が多いため体重の管理にはかなり気を使っているのが会話からうかがい知れました。

 

人気をキープして活躍する芸能人は、何かしらのガマンをされているのだと思います。

食べたいときに、食べたいものを好きなだけ食べている生活では、俳優やモデルの仕事ができないですよね。

 

体型(この場合はスタイルと言った方がイメージしやすいと思います)スタイルをキープするには、食事や運動、睡眠といった生活のサイクルに”ガマン”がともないます。

では、その人たちはなぜそのガマンという努力が続けられるのでしょうか?

それは根性論でがんばっているのではなく、目的があるからです。もっと砕いていえば、”得” があるからです。

映画にせよテレビにせよ雑誌の取材にせよ、そのスタイルをキープすることで仕事ができる。あるいは仕事が生まれることを腹落ちして理解しているのだと思います。

 

だから、一見するとつらそうな食事制限も継続して取り組めたり、あるいはそこまで大きくないガマンとして習慣化できているのだと思います。

 

 

不必要なガマン

一方、世の中には不必要なガマンも存在しています。

職場や学校で神経をすり減らして、生活をしている人も少なくないはずです。

本来、仕事や勉強というのは自分に”得”があったり、成し遂げる目的の”手段”として活用されるものです。それをやること自体が目的になってしまうとおかしなことがおきます。

精神が病んでしまうのであれば、一定期間休みをとったり、学校であれば思い切って「行かない」という決断をするのも必要でしょう。私はそう考えます。

世間体を気にして、職場や学校で自分にうそをつき続けることは不必要なガマンの最たるものです。

 

もちろん→ じゃあ、職場や学校でガマンゼロで、言いたいことをすべて言って、やりたくないことは一切断っていいというわけではありません。

ガマンは必要なのかそうでないのかの「見極め・振り分け」が重要になってくるのです。

 

必要?不必要? ガマンの見極め方

見極めには、あるものが必要です。それは、自分と違う価値観に触れる習慣です。

これを一定期間し続けると、見極め能力が備わってきます。

特効薬を期待していた人には悪いですが、見極めができるようになるには時間がかかるのです。

 

ただし、違う価値観に触れること自体は簡単です。

Youtubeで、普段見ないジャンルの動画を見てみるでOKです。

読書が苦手な人は、本の要約チャンネルをいくつか見てみるだけでもOKです。気になればAmazonでその本をポッチってみてください。2,000円いかない程度の出費で、他人の価値観に触れることができます。

 

ある程度、それを繰り返していると「Xデー(エックスデー)」が訪れます。

それはつまり、自分は何でこんなことで悩んでたんだろうとか、自分のガマンしていたことは何のプラスにならないものだ!と気づく日がやってきます。

 

私の経験はそうでした。

ガマンを例にしましたが、「イエスorノー」「やるべきか?やらざるべきか?」といった二元論で困ったときは、だいたいの場合…どちらが正しいとか間違っているとかではなくて、見極めてどちらに振り分けるか? の判断軸が自分に出来上がっていないことが原因だと思っています。

 

今回、言いたかったのは、その見極めのトレーニングを人生を通してやっていきましょうというお話です。

 

ここまで、おつきあいくださった読者の方に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

 

次回の配信をお楽しみに(^^)